泉岳寺は1日にして江戸で最も有名な寺となった 時は元禄15年12月14日

 

 

 

 

 

 

 

今日12月14日はひと昔前ならば誰もが知っていた有名な日だった。

今では「忠臣蔵」「赤穂浪士(あこうろうし)」と聞いても「何? 知らない」という人が増えたのだとか。

現在公開中の映画「決算!忠臣蔵」は、コメディタッチの切り口が受けてヒットしているようだが、「赤穂浪士」の基礎知識がない人でも楽しめるように作られているのだろうか。

●忠臣蔵も時代の流れの中で風化?

「時は元禄15年、師走半ばの14日……」「殿中でござる~! でんちゅうでござーる」「天野屋利兵衛(あまのやりへえ)は男でござる~」などといったセリフは毎年制作されていたドラマや映画で必ず出てくるものだから、意味のわからない子どもでさえ、この季節にはモノマネを披露する者がいたりした。

こんな話をするのも、筆者の書く記事には知らなければ意味がわからないことが多いに違いないと常日頃から思っているからだ。

今回は忠臣蔵にゆかりのある寺社をご紹介しようと思い立ったが、忠臣蔵をどこから説明するべきなのか大変悩ましい。

●ゆかりの地歩きも人気

元禄15(1703)年12月14日、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)率いる赤穂浪士47名は、亡君・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇である吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷へ押し入り、見事その首を討ち取る。

これは史実であるが、事件以降、歌舞伎、人形浄瑠璃、講談などで披露されるうちに各所に脚色が入り、フィクション部分の方が有名になってしまった感も多々ある。

討ち入り後、浅野内匠頭が眠る泉岳寺を目指して吉良の首級を掲げて江戸市中を行進する道筋が、ファンの間では散策コースにさえなっている。

泉岳寺は、令和2年3月14日に暫定開業予定の山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」が、まさにJRでは最寄駅となるお寺である。

ついでに言えば、3月14日(旧暦)は江戸城松の廊下で内匠頭が上野介に切りかかった日、これを意識してのことであろうか。

●主君と義士の眠る泉岳寺

泉岳寺は今川義元の菩提を弔うためのお寺として、徳川家康が桜田門に創建した曹洞宗のお寺である。

この時招かれた宗関和尚は今川義元の孫と言われている。ところが桶町火事(1641年)により伽藍を焼失、現地へ移転するもなかなか復興できず、これを見兼ねた徳川3代将軍・家光が5人の大名に再興を命じた。

この5大名の中に浅野家がいたことから、浅野家の菩提寺としてつながりができたのだという。

泉岳寺には、切腹を命じられた浅野内匠頭の墓が建立されていて、赤穂の義士たちのほとんどがこの地に埋葬された。

境内には赤穂義士墓地のほか、大石内蔵助の銅像、首洗いの井戸、内匠頭が切腹した折に血がかかったと言われる梅の木と石などがあり、義士たちの遺品などが納められている「赤穂義士記念館」も併設されている。

●本所松坂町の名前はもうないが

吉良上野介が討たれた屋敷は、現在「吉良邸跡」(本所松坂公園)となっていて、上野介の像や屋敷にあった稲荷神社、首洗いの井戸などが残されている。

また、内匠頭の正室・阿久理(のち瑤泉院)は、内匠頭亡き後実家の下屋敷へ戻るが、お墓は夫とともに泉岳寺にある。

この下屋敷があったのが、赤坂氷川神社の境内だ。今は境内に何も残っていないが、「浅野土佐守邸跡」と書かれた表示板が立っている。

●「切腹最中」が人気商品に

現在の皇居の中にも、「松の廊下跡」と記された看板がある。余談だが、江戸城内での刃傷沙汰は浅野内匠頭が最初でも最後でもない。

その上、相手に刀を当てておきながら仕損じたのは内匠頭ただ一人。

にもかかわらず、一番厳しいと思われる沙汰が下されたのである。もっとも、のちの時代に浅野家は再興を許されてはいるのだが。

刃傷沙汰後、内匠頭が預けられ即日切腹させられたのは奥州一之関藩・田村家邸宅で、現在のその場所付近である新橋四丁目交差点には「浅野内匠頭終焉之地」というかなり大きな碑が建てられている。

この通りの少し先にある和菓子屋には、この史実にちなんだ「切腹最中」という人気商品がある。よく考えられた忠臣蔵関連商品である。

最後に義士たちの歩いた、両国から泉岳寺までの道のりをおさらいしてみよう。

本所を出た一行は回向院(えこういん)へ向かうが入れてもらえず、泉岳寺を目指すことにした。

隅田川を下ろうとするも船宿に断られ川沿いを歩く。永代橋たもとでとった休憩の場所には今では「赤穂義士休息の地」碑がある。

永代橋を渡り、かつては浅野家上屋敷のあった場所から鐵砲洲(てっぽうず)稲荷神社を抜け、汐留橋を渡り海沿いの道をたどって泉岳寺へ向かった。

泉岳寺で一行がようやくひと息をついた頃、江戸市中に討ち入りの噂が広まり始めた。

「それまではただの寺なり泉岳寺」という川柳が示す通り、義士の入った泉岳寺は1日にして江戸で最も有名な寺となったのである。

 

引用元:AERA dot.
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191212-00000015-sasahi-life

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