聖徳太子の凄まじい人気ぶり 善重寺 年に一度しか会えない開帳日に…

聖徳太子像

聖徳太子といえば、かつて一万円札の肖像画にもなっていて、社会科の教科書にも登場する人物。そうした意味では歴史上の人物としては広く認知されており、事実、冠位十二階や十七条憲法を制定するなど政治的な活動も多かった。

聖徳太子像をひと目見ようと大行列

一方で宗教者としての側面も強く、それが現代にまでしっかりと通じている1日に立ち会ったので、その様子を伝えたい。

驚くべき聖徳太子人気…

聖徳太子は、大阪の四天王寺を建立したり法隆寺にゆかりが深かったりするなど仏教にとても熱心で、政治的なものだと思われがちな十七条憲法にも「篤く三宝を敬え」(第二条)とある。

三宝とは仏・法・僧ののことで、ここにもはっきりと見てとれるの仏教的な意志。鎌倉時代に登場し、現代では日本最大の宗派となった浄土真宗の宗祖・親鸞は聖徳太子を「和国の教主(日本のお釈迦様)」であるとまで言うほど敬っていたのだ。

そんな親鸞が20年にもわたり暮らした常陸国(現在の茨城県)に、善重寺という浄土真宗のお寺がある。

こちらには聖徳太子像が安置されているのだが、秘仏となっており普段は拝観することができない。

しかし、聖徳太子の命日とされる2月22日にたった1時間だけご開帳されるのだ。令和2年2月22日のご開帳日、現地には多くの人が集まっていた。

例年は100人ほどの集まりだが、今年は600枚用意した整理券もあっという間になくなり、寺の外まで長蛇の列。係の人によると、1000人はくだらないという。

いよいよご開帳

午前11時。たった1時間の聖徳太子像ご開帳の時刻。

お堂の前に並ぶ人々の目の前で太子堂の扉が開かれる。

最初の数十人がお堂に招き入れられ、お経があげられる。

そして、聖徳太子像の収められた厨子(ずし)がゆっくりと開かれた。

中から現れた姿は右手に尺、左手に香炉を持ち、古代の成人男性特有の美豆良(みずら)と呼ばれる髪型。

聖徳太子16歳の姿で、像高は約1.3mあり鎌倉時代の作だというのに、美しい彩色が作られた当時のまま残っている。

1年に1時間しかご開帳しないことによって、およそ800年もの長い月日が経ってもこれだけ美しい姿でいられるのだ。

見る角度によって、優しくも厳しくも見えるその表情は、彫刻の妙技と眼球部分に水晶をはめ込む玉眼という技法の賜物。

堂内の誰もが、その姿に息を飲んだ。

像の背景に数々の有名人が

鎌倉時代の仏像の中でも一級品と称される同像だが、江戸時代までは荒寺に置かれていた。

それを善重寺に移したのは水戸黄門としても知られる水戸光圀である。

光圀の夢に、聖徳太子像が現れて、この寺に移してほしいと言った、といわれている。

幕末になると、世の動乱に善重寺も巻き込まれた。

しかし、聖徳太子像だけは戦災を免れ、明治時代には太子堂が建てられた。

その中心となったのが実は、渋沢栄一。

新旧の一万円札に描かれる人物がここで不思議なつながりを見せているのである。

住職の話

今回のものすごい人出について住職は、「私たち浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は聖徳太子を篤く信仰しましたので、こうして多くの方がこの日に来てくださるということは、とてもありがたいことです」と話してくれた。

さらに「浄土真宗の人間として、聖徳太子の信仰が広まっていくといことは、真宗の僧侶冥利につきることです」と語った。

再来年、2022年には聖徳太子が亡くなってから1400年の遠忌が控えている。

これに向け、私たちにとっても聖徳太子の話題に触れる機会は増えるだろう。

今、あらためて聖徳太子の教えに触れて見るのも良いかもしれない。

 

引用元:週刊SPA!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200301-01647803-sspa-soci&p=1

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる