善重寺 聖徳太子の命日、水戸の「立像」が年に1度の御開帳

角度によって厳しさと優しさの表情が見えるという国の重要文化財「聖徳太子立像」

聖徳太子の命日とされる22日、国重要文化財(旧国宝)の「聖徳太子立像」が善重寺(水戸市)で御開帳される。

鎌倉時代の仏教美術の最高技法を伝える木像は、造像時の彩色を残す極めて珍しいもので、同寺の太子堂に安置されている。

年に1度の御開帳を前に同寺の藤本貫大住職は「本朝(日本)随一とたたえられる霊像。太子信仰に敬意を表してお務めする」と気を引き締める。

右手に尺、左手に香炉を執り、みずら姿(古代成人男性の髪形)で直立する高さ約1・3メートルの聖徳太子像は16歳ごろの姿で、造られた鎌倉時代のまま手が加えられておらず、当時の彩色を残す第一級の遺物とされる。

善重寺に移されたのは寛文11(1671)年のことだ。

水戸黄門で知られる水戸藩2代藩主、徳川光圀(みつくに)によって、大山村(現・茨城県城里町)の荒寺から善重寺に寄進された。

聖徳太子像は夢に現れて、酒門町の善重寺に移りたい旨を光圀に伝えたといわれている。

その後、幕末の動乱で天狗(てんぐ)党の襲撃により、境内全域が焼失したが、聖徳太子像は被災を免れた。

明治29年に岡倉天心らを中心に、画家の横山大観や実業家の渋沢栄一らの協力で太子堂が再建されると、大正4年に聖徳太子像は国宝に指定された。

藤本住職は、御開帳前日の21日、産経新聞の取材に応じ、聖徳太子像が安置される太子堂を開放した。

ひやりとした堂内は太子の慈悲を感じる厳かな雰囲気に包まれていた。

「厳しさと優しさ両面を併せ持つ仏教の教えを表現しており、見る角度で表情が変わる」という藤本住職の言葉通り、聖徳太子像は角度によってさまざまなまなざしを向けてくれた。

御開帳は22日午前11時から正午まで。

良質な状態を保つため、開放時間は厳守する。

人数によっては入場制限を設ける場合もある。問い合わせは善重寺(029・247・5057)。

 

引用元:産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200221-00000582-san-l08

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