水木プロダクションのツイッターアカウントが投稿した「アマビエ」(画像:(C)水木プロ)

「疫病退散」の願いを込めて

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、「疫病を鎮静化させる」と伝えられる江戸時代後期の妖怪「アマビエ」がインターネット上で注目を集めました。

【画像】東京版の「アマビエ」? お茶の水にある「太田姫稲荷神社」を見る

熊本ゆかりのアマビエですが、東京・お茶の水にも同じような伝説が残っていることを皆さんご存じでしょうか? 「疫病退散」の願いを込めてご紹介します。

永井荷風が著した『日和下駄』(画像:講談社)

日本の神社、3分の1以上を占める「稲荷信仰」

「裏町を歩もう 横道をゆこう」

 明治~昭和期の小説家・永井荷風のこの有名な言葉は、江戸・東京町歩き本の元祖ともいうべき名著『日和下駄』に記されています。

裏町の横道を歩いていると一体何があるのか? 荷風が注目したのは、それぞれの土地の生活に密着した小さな祠(ほこら)でした。

東京には、いたるところに小祠(しょうし)が祭られています。正当な宗教の寺社ではなく住人の暮らしのなかに溶け込んで、日々ちょっとした祈りをささげる対象。

荷風はそれを「淫祠(いんし。いかがわしい神を祭ったほこら)」というあまり良くない言葉で章立てしていますが、江戸から明治・大正・昭和にかけての人々にとって、ごく身近で親しみ深い存在だったにちがいありません。

特に多く見られたのが稲荷の祠です。

日本にある神社の総数は約8万、そのうちの3万ほどが稲荷信仰といわれます。さらに神社庁に届けられていない無名の祠を加えれば、さらに多くの「おいなりさま」があるでしょう。

江戸に多いもののたとえで「火事・喧嘩、伊勢屋・稲荷に犬の糞」とうたわれるほどに、稲荷は数多くみられました。天保(てんぽう)年間(1831~1845年)記された「祠曹雑識(しそうざっしき)」によると、江戸市中の稲荷に相撲式の番付がつくられていたとのこと。

その江戸以来の信仰は 現在でも連綿と続いています。

私有ビルの2階に鎮座する「幸徳稲荷神社」(画像:伊勢幸祐)

建物2階やビルの谷あいに……都内の変わった稲荷神社

 千代田区の駿河台、神田かいわいには特に面白い稲荷の小祠がみられます。まず小川町の「幸徳(こうとく)稲荷神社」(千代田区神田小川町)を訪れてみましょう。

「この祠は入っていいのかな?」と、誰もがちょっと戸惑ってしまうような、ごくふつうの私有ビルの2階に鎮座しています。由来を見ると、旧幕時代はさる武家屋敷の中の社でした。江戸期にも、邸内にある祠が評判になると町人に参拝させることがあったようです。

日本橋川の近くには「妙法護衛稲荷神社」(同区神田神保町)。典型的なビルの谷あいの祠です。まさに裏道を歩く楽しみで、偶然この社を発見したとすれば、「こんなところにいらっしゃったのですね……」と手を合わせたくなります。

須田町の「出世稲荷神社」(同区神田須田町)は、ご神体が関東大震災の猛火を逃れて残ったとのこと。おいなりさまは商業神でもあります。このあたりは商家が多く信心を集めたのでしょう。ストレートな名称がほほ笑ましく思えます。

三社のみをピックアップしましたが、この一帯にはまだまだ興味の尽きない稲荷社が数多くあり、古くからの祠を地域の町内会やビルオーナーが大事に受け継いでいる様子がうかがえます。

ビルの谷あいにたたずむ「妙法護衛稲荷神社」

都市の人々が連綿と祈り続ける「疫病退散」の歴史

 さて、稲荷信仰はかなりはっきりと現世利益追求です。商売繁盛、家内安全、立身出世、恋愛成就などなど、いつの世も人々の願いは変わりません。

 現世利益の大きな願いのひとつに「無病息災」、あるいは病にかかってしまった場合の平癒祈願があります。

もともと都市の民衆信仰は疾病に強く結びついてきました。

よく知られるように、京都の祇園祭は平安時代に猖獗(しょうけつ。悪い物事がはびこり勢いを増すこと)した疫病をおさえるために朝廷が行った御霊会(ごりょうえ。疫神などを鎮めるために行う祭り)が元になっています。

江戸もしばしば疫病に襲われました。幕末期に限っても安政のコレラ、文久のはしかでは数万人の犠牲者が出たといわれます。大都市・江戸の住民がいかにはやり病を恐れたかが想像されます。

医学の未発達な時代、人々は神仏にすがる心情がことの外強かったに違いありません。農村地帯の祭りが主に五穀豊穣(ほうじょう)を祈願するのに対して、都市住民が疫神退散を祈ったのも理解できます。

さて、そこで連想されるのが2020年4月現在、ますます深刻になっている新型コロナウイルス。先日ついに首相による緊急事態宣言が出され、終息のめどが立たぬまま予断を許さない状況が続いています。

そんなときには、科学万能の現代でも疫病に御利益のある摩訶(まか)不思議なものが話題になります。昨今、評判になっているのが熊本の妖怪「アマビエ」です。

疫病退散の伝説が残る「太田姫稲荷神社」

太田姫稲荷……海に現れた「白髪の老翁」伝説

 江戸の頃、肥後の国の海中に光る謎の物体が出現、役人が行くと姿を現し「疫病流行の際にはわが姿を描いて人々に見せるべし」と告げて去ったとのこと。そのユニークな画像が現在ネット上でしばしば見られます。

 東京にも似たエピソードがあり、それが今回最後に紹介する「太田姫稲荷神社」(千代田区神田駿河台)の伝説です。太田姫稲荷神社はやはり稲荷系。ただ、これまでみてきた小祠とはやや異なり社殿を構える由緒ある神社です。

JR御茶ノ水駅聖橋口から神保町方面に坂を下って徒歩5分ほど、神社は大学や病院の林立する都心の一等地に鎮座しています。境内はきれいに掃き清められ、現在も変わらぬひとびとの尊崇の思いが感じられます。

この神社の由来によると、平安時代、高名な歌人だった参議・小野篁(おのの たかむら)が航海している際に海が大いに荒れ、篁は海を鎮めてくれるよう海神に祈りました。

すると海上に白髪の老翁があらわれ「海は鎮めよう。しかし今後、疱瘡(ほうそう。天然痘)を患えば汝(なんじ)の命は危ない。わが像を祭れば病にかかることは無いだろう」と告げて波間に姿を消しました。

篁はお告げに従って自ら老翁の像を刻み、京都・一口の里の神社に奉納したといいます。この白髪翁、海を鎮めてくれただけでなく自ら疫病予防のサービス(?)を申し出られるとは。なんとも親切な神様ですね。

プラスチック製の箱の中に入れられた護符。お札には「太田姫一口稲荷」の文字

せき封じの護符は「ご自由にお持ちください」

 時代は下って15世紀、江戸城を築いた太田道灌の最愛の娘が重い疱瘡にかかってしまいました。当時、死病とされた疫病です。道灌はすがるような思いでこの一口の里の神社に平癒を祈ります。すると娘はすっかり回復。

 以来、道灌はこの神に深く帰依し、江戸城内に一社を設けて敬拝しました。この信仰が徳川家にも受け継がれ、現在にいたります。

太田姫稲荷神社からほど近いJR御茶ノ水駅の線路沿い、聖橋のたもと近くのムクの木に注連縄(しめなわ)が巻かれて「元宮」の表示があり、プラスチック製の箱の中に護符が入れられてありました。お札には「太田姫一口稲荷」と記されています。

太田姫稲荷神社の社伝によると、1931(昭和6)年、総武線建設工事のため社地を移したとありますから、神社はもとはこの辺りにあったのかもしれません。

これを見つけたのは2020年の2月末。国内での新型コロナウイルス感染はまだ深刻化する前でしたから、特にコロナ対策としてではなく、おそらく例年このように咳(せき)封じのお守りを配布しているのでしょう。 大都市・東京の中で、人々の健康を守る祈りのシステムを垣間見るようでした。

3月4日付で、神社本庁による「新型コロナウイルス感染症流行鎮静祈願祭執行の件」の通知が出され、全国の多くの神社で鎮静祈願の神事が行われているとのことです。

数百年にわたって疫病からひとびとを守ってきた太田姫稲荷神社。その霊験をいただいて、コロナウイルスが一刻も早く鎮静することを祈るばかりです。

 

引用元:アーバン ライフ メトロ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200418-00010000-metro-life&p=1