『わたしは生きる』で龍昌寺を開山した村田和樹老師が伝えたいこと 難解な仏教の名著を現代語訳へ

村田和樹

1980年に龍昌寺(りゅうしょうじ)を開山し、以降仲間たちと農地「よろみ村」を開き、座禅を中心とした山暮らしを営んでいる村田和樹さんが『わたしを生きる』を上梓。

村田さんに、同著に込めた思いを聞きました。

道元禅師が残した大著『正法眼蔵』は名著ながら難解さで知られる。

その中の「現成公案(げんじょうこうあん)」を、仏教になじみのない人たちにも親しみやすく説いたのが村田和樹老師(69)の『わたしを生きる』だ。

本文は右に原文、左に現代語訳。訳注には、道元禅師の言葉を理解するための道案内として、さまざまな本から村田老師が選んだ文章や老師自身の言葉が配置されている。

「書き始めてから脱稿するまでに約1カ月。ある意味スーッと書けたので、読みやすいものになったと思います」

心がけたのは「現代の現代語訳にしよう」ということ。現代語訳と銘打っていても、仏教と縁遠い現代の読者には難解なものもあるからだ。

執筆にあたっては現在30代になった長男が中学時代に愛読していた哲学者・池田晶子氏の著作『14歳からの哲学』が頭にあったという。

「14歳に哲学を説く、これは大変です。どこまで噛み砕いて、どこまで表現すれば良いか。

自分で表現するのは並々ならぬことだと実感しました」

 村田老師は金沢市にある曹洞宗の寺院に生まれた。幼い頃は運動や勉強が苦手で吃音(きつおん)にも悩み、喧嘩(けんか)に明け暮れた。

本などろくに読んだこともない。だが15歳の時、胸にぽっかり穴が開いたようになり、改めて仏門入りを決意。駒澤大学に進む。

「そこで初めて夏目漱石や芥川龍之介を読み、彼らの悩みや苦しみの深さに触れたら、自分の虚しさなんて表面的なものだったと気づきましたね」

卒業後は京都にあった安泰寺(あんたいじ)で修行に励んだ。実家の別寺を任されたものの、30歳になる年、能登半島の山に新たな僧堂を建てようと志す。

3月に山へ入りチェーンソーを操って自ら木を切り、12月には龍昌寺(りゅうしょうじ)を開山。

坐禅や農作業の合間に仲間たちとの読書会を開き、多くの人が集う。

「現代人の中には『困ったら困らないようにしよう』と考える装置があります。

迷いはダメ、悟りは良いと。私の本を読むときでも、ともすれば悟りの方向で読もうとします。

そのあり方を道元禅師は真っ向から否定されます。『お前は主役ではない。《縁起》の上にたまたま在る産物なのだ』と。

人間は、いのち、地球、大地、風など《わたし》を超えた大いなるものの《はたらき》の中に存在しているんですよ」

『わたしを生きる』に選ばれた言葉を繰り返し読んでいると、そのことが少しずつ体の中に入ってくるのを感じる。

「自己をならふといふは、自己をわするゝなり」(「現成公案」)

(ライター・千葉望)

■東京堂書店の竹田学さんのオススメの一冊

『自己責任の時代 その先に構想する、支えあう福祉国家』は、説明責任を果たさない現在の日本で、必読の書と言えるだろう。

東京堂書店の竹田学さんは、同著の魅力を次のように寄せる。

現代は病気や障害、貧困、果ては紛争地の取材に対して自己責任という言葉が浴びせられる社会だ。

本書で気鋭の政治学者ヤシャ・モンクは、政治哲学上の論争や大統領演説、戦後の福祉国家の変遷などを詳細に分析し、自己責任論からの脱却を模索している。

著者によると、かつて責任という言葉は社会や他者に対する義務を意味していたが、80年代以降、自助努力し、その結果のリスクは自らのみが負うという意味に切り詰められていった。

この自己責任論の流行は、経済成長の鈍化、新自由主義の台頭とともに強められて今に至っている。

著者は哲学・社会政策上の議論を批判的に検討し、各人が主体性を持って社会の中で生き、それを支える「肯定的な責任像」への転換を主張する。

政権中枢にいる者が説明責任を果たさない日本で、今読まれるべき本だと思われる。

※AERA 2020年1月13日号

 

引用元:AERA dot.
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200110-00000016-sasahi-cul

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